3年振りに双葉町・浪江町を訪問しました。最後に帰還困難区域を訪問したのは2020年3月、東京オリンピック前でした。直後に新型コロナ感染拡大で毎月のように通っていた福島県に行く事がなくなり困窮者支援に集中する日々でした。今日は浪江出身の子ども脱被ばく裁判団長の今野さんとピースボートの越智さんが案内役でパルシステム平和地域活動委員会主催の現地視察、今野さんは親友、今野さんの自宅がある地区は’17年に居住制限が解除されたものの、何回も訪問した今野さんの自宅はない。自宅周辺の放射線量が高く、’20年に自宅を解体することになってしまった。

久しぶりの双葉町・浪江町は一変していた。あれほど積まれていたフレコンパックはほぼなくなっていた。正確にいえばオリンピックがあるので見えない場所に隠しているだけ、、双葉町の中間貯蔵施設にフレコンバッグを汚染度によって仕分ける施設、仕分けたフレコンバッグを一時保管する30年貯蔵して?汚染土壌を、公共事業や農地に再生利用する。そのための実証実験が、新宿御苑で行われようとしている。新宿区民が中心となり「新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会」が立ち上がっている。

かつて2万1千人いた浪江町の住民は、全国に散り散りになり現在でも2千人ほど、、更地だらけの土地に復興予算でゼネコンを儲けさせる工事ばかりが見える。街にはコンビニや学校も作られている、ただ病院がない。医師がいないからだ。双葉に入ると線量は2msvを超えている地域もある。まだ多くが帰還困難区域だ。

視察後にパルシステム福島いわきセンターに向かう。原発事故当時はパルシステムの事業部長でパル福島には浪江町に配送センターがあり帰還困難区域であった為に組合員が全員避難したことで経営危機になり事業再建のために組合員拡大支援含め毎週のように通った。

実は私にとって最後の平和地域活動委員会、「社会の底が抜けたような貧困」「福島原発事故での苦しみを忘れた原発再稼働」戦争前夜の雰囲気がつくられ防衛費倍増、パルシステムなど協同組合がもっともっと役割を担ってほしい。最後のメッセージを聞いてくれた委員会の皆さん これからもよろしくお願いします。

●「闘え協同組合」

生協がネットワークのハブになり、横で繋がりあう住民連帯型の連帯経済をつくる 答えは現場にある。

*協同組合は先駆者たちの目的に立ち返って、元々は協同組合運動と一体であった労働運動といっしょに「社会的協同組合」を創って、差別と貧困化の時代に立ち向かう。

1844年にロッチデールの先駆者たちは、設立する組合の目的を、以下のとおりに掲げました。「本組合の目的と計画は、1口1ポンドの出資金で十分な資金を集め、組合員の金銭的利益と家庭的状態の改善をはかることにある。このために、次のような計画と施設の建設を実行に移す。

①食料品、衣類等を売る店舗を設置する。

②多数の住宅を建設または購入し、社会的家庭的状態の改善に協力しようとする組合員の住居にあてる。

③失職した組合員、あるいはひきつづく賃金の引き下げで苦しんでいる組合員に職を与えるため、組合の決議した物品の生産を始める。

④さらに、組介員の利益と保障を増進せしめるため、組合は若干の土地を購入、または借入し、失職していたり、労働に対して不当な報酬しか得ていない組合員にこれを耕作させる。

⑤実現が可能になりしだい、本組合は生産、分配、教育および政治の力を備える。換言すれば、共通の利益に基づく自給自足の国内植民地を建設し、または、回様の植民地を創らんとする他の諸組合を援助する。