5月4日は毎年、神奈川県の公園に集う。2017年5月4日に私たち「避難の協同センター」の相談者であるNさんが公園内で自死した日だからだ。今年は松本徳子さん、村田弘さん、山本ひとみさん、森英夫さん、鈴木博喜さんが来てくれた。あの日から6年が経過した。原発事故被害者の救済どころか切り捨てられたままで、フクシマの原発事故の教訓どころか原発推進に突き進む。入管法もそうだが、国連人権理事会での指導勧告は無視し続ける政府、でも私たちは、あの日のNさんの哀しみや悔しさを胸に刻むこと、Nさんに毎年会いにいくこと、この事だけはこれからも続けていきたいと考えている。

★2017年5月4日の事だった。Nさんは2012年に夫の反対を押し切って2人の子どもを被ばくから守るために郡山から200キロ離れた東京に母子避難した。私との本格的な出会いは2016年の年末に差し掛かる頃だった。パルシステム本部の2階で開催した相談会に切羽詰まった状態でNさんが現れた。仕事はダブルワーク、自分の物を切り詰めて子どもたちの大学の入学費を貯金していた。2017年4月には二人目の子どもの大学進学を控えていた。Nさんを追い詰めた理由は別にあった。政府は2017年3月末で区域外避難者の住宅無償提供を打ち切る方針を決定、2016年春から個別に説得工作をはじめた。「いまお住まいのみなし仮設住宅から退去して頂く」Nさんは追い詰められた。住んでいた雇用促進住宅の居住条件から外れた状態、入学金と初年度の学費を貯金してきたが、住まいから退去を迫られたが、新たに東京で住居を借りる余裕は最早なかった。Nさんは既に体調を崩しており、顔面が少し麻痺している事が解った。

★私は年明けから2か月、Nさんが雇用促進住宅に継続居住できるようにJKK、SK公社に出向き交渉を続けた。Nさんとは同学年、交渉先に向かう車中で、浜田省吾の「もうひとつの土曜日」を一緒に聞いた。何とか継続居住が実現できた。しかし月6万3000円の家賃がかかるようになった。今後は元気だったころの自分の貯金を取り崩しながら2人分の大学授業料と家賃、生活費を支払っていかなくてはならない。3月の終わりにNさんの父が病に倒れた後、Nさんも疲れ果てて入院となった。「入院費がかさむと、大学に通う子どもたちを退学させなければならなくなる」私に病院からメールが来た。郡山の病院まで自家用車で迎えにいった。「少しずつよくなればいいから」と励まし一時住宅を用意した。

★2017年5月4日は午後から会う約束をしていた。福島県からの家賃補助を受ける方法があったので説明と久し振りにファミレスでご飯を食べようと思った。朝7時30分位に別の女性支援者が電話で話していた。しかし8時30分頃、住宅から500メートルほど離れた公園途中の階段で自死した。私が病院に駆けつけた時は既に脳死状態だった。その日の深夜にNさんは亡くなった。夫は遺品を片付ける事もなく私たちに部屋の掃除、遺品整理の作業を預けた。

★避難の協同センター松本徳子さんと満田夏花さんと部屋の掃除をおこなった。1枚の卓上カレンダーに書かれてあった「ゴメンね」のメモ。あれから5年が経過した。私の現在の困窮者支援の原点がNさんです。そしてどんなに月日が経っても5月4日はNさんに会いにいきたいと思います。

★6年後の5月4日、今日もあちこちから困窮に苦しむ方、支援を続けている方からの「孤独で寂しいんです」の電話が夜まで止まらない。とにかく話を聴くことを続ける。反貧困ネットワークの女性スタッフが今日が祝日であってもシェルターを巡回訪問してくれている。

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