多摩市永山ベルブホールで開催された「第30回多摩市平和展シンポジウム」反差別-”新型コロナウイルス禍”から見えてきたこと」辛淑玉さん(のりこえねっと共同代表)片山夏子さん(東京新聞福島特別支局)そして何故か私も登壇者で参加させて頂きました。コロナ禍以前からの差別と排外主義、非正規労働者や女性が真っ先に仕事を奪われ、外国人が公的支援から排除され、コロナ禍で炙り出されただけだ。「助けてといえない社会」が底抜け状態になった事、今日の討論の共通項だったと言える。
★2013年春から夏にかけて、原発事故子ども被災者支援法の骨抜き方針が復興庁から示せれ、「原発事故被害者の救済を求める全国運動」の立ち上げ、同時に、辛さんに声がけ頂いて「のりこえねっと」の設立準備、都内で開催した「キックオフ記者会見」の4日前の9月21日に脳内出血で倒れてしまい、立ち会えなかった。その事もあって、辛さんはいつも「身体は平気か」私に会うと心配ばかりしている。
★片山夏子さんは、先週月曜の東京新聞「こちら特報部」にて区域外避難者への二倍請求と追い出し強制問題を特集、私のインタビューも掲載されている。震災翌日から、東京電力や原子力安全・保安院などを取材2011年8月から原発作業員の取材を担当。連載記事「ふくしま作業員日誌」は現在も続いている。俺たちは使い捨て」。命のリスクを冒しながら福島第一で働く原発作業員、作業員被ばく線量の現実と、7次、8次まで連なる下請の多重化と仲介業者のピンハネ「日当6000円」と突然の解雇、作業員の被ばく隠し、がん発病と訴訟いつもほんわかしていて優しい笑顔の片山さんが追いかけてきた渾身の報告、犠牲と差別を告発し続けている。
★今日は約25年振りの再会があった。1985年に入協した相模原のけんぽく生協の会計担当の加藤順子さんが入口で待っていてくれた。当時まだ組合員が二千人余りのオンボロプレハブ倉庫の赤字生協だった頃に本当にお世話になった加藤さん、滅茶苦茶だったけれど、生協運動をつうじて社会を変えよう!と夢を語り合った時代、あの頃は金もなくボロボロだったけれど、あの時代があったから現在も頑張れている。
★今日の企画は、多摩市の主催、シンポジウムには阿部市長が最後まで参加してくれました。
平和市長会議、脱原発をめざす首長会議にも参画、住民参加の街づくりで信頼が厚い。市長当選前は、多摩市平和展の実行委員だったそうです。私の方からは多摩市福祉事務所でも居所がない相談者は生保申請受理の際に無料低額宿泊所入所が前提とされている事について、直接、改善をお願いしました。リベラルな市長(区長)の自治体が以外にも福祉事務所の対応が悪い事例も多いのです。よろしくお願いします。
★シンポ中にお隣の町田市から高齢の方からのSOS、先送りできる相談ではない。会場に来られていた伊地智市議と舞台裏で情報共有、伊地智さんはその後の全ての予定をキャンセルして相談者の待つ場所に駆けつけてくれました。僕らの活動は、多くの自治体議員との連携に支えられています。「地域で支えあい、地域を変えていく」助けてと言える社会は地域を変えていく事です。