❶朝から都内某所で反貧困ネットワーク外国人支援担当の原さんと台東区のシェルター管理人の内山さんと一緒に新規シェルター候補物件の調査訪問、反貧困ネットワークのシェルターは2か所、現在15室、2か所ともにほぼアパート丸ごと借り上げている。シェルターは単なる住居のハコ物でなく。入居者の生活支援が必須、部屋が分散状態では、支援が手薄になる。今日、見学したアパートは9部屋全て借りると格安で部屋もリノベーションが完了しており魅力的、問題は管理運営力、仮放免などで生存権すら保障されず、住まいを失った外国籍の方が多くいる。住まい喪失状態で生保申請受理されても都内23区の半数以上が一時宿泊先のビジネスホテルを提供されず、無料低額宿泊所を強要されてしまう。アパート入居までの期間の一時利用住宅としてのシェルターは必要不可欠(本来は公の仕事)何で民間支援団体が担うのかと思いつつ、慎重に前向きに検討していきたい。

❷反貧困ネットワークシェルター近くにある「泪橋ホール」で、支援を続けている30歳のU君と待ち合わせ、U君は長い期間、住民票も戸籍も全て不明状態が続いていた。それでも悠々と生きてきた。親は幼少期に別れて以降、独りで生きてきて、全国様々な飯場で働いてきた。身分証明もいらない。キャッシュカードも持たない。全て現金で収入を得てきた。同行した福祉事務所での相談員は、住民票も戸籍も所在地を覚えていないU君に対し、「覚えていないのおかしい。頭打っているんじゃないの、普通じゃない」と罵倒されても「普通じゃないからここに来てるんでしょ。何もなくても生きてきたんですよ」と反論、身元不明状態で生保が決定した。でもどんなに調査しても所在不明、社民党の皆さんが泪橋に訪問された時に、大椿ゆうこ副党首がU君の生き方とバイタリティーに惚れ込んだ。「次の参議院選挙に社民党から出馬してね」今日朝にメールが入った。住民票の所在地が判った!これでアパート入居もできる。次の参議院選挙に向けて準備開始?

➌「泪橋ホール」を離れて都内城東エリア某所の無料低額宿泊所前に車を停車させ、30代の相談者を待つ。**福祉事務所で生保申請後、無低に入所させられ5年が経過、その間、ケースワーカーは放置状態、アパート入居の話も一切なかった。精神疾患は酷くなっている。反貧困ネットワークと連携している医師の診断をおこなったうえで、一緒にケースワーカーに会いにいってアパート入居に向けた交渉をおこなう予定だ。

❹泪橋ホールに戻り、数日前にSOSで駆けつけ支援した20代の青年を待つ。生活保護に同行する予定だったが、故郷に帰り、やり直す事にした。しかし帰郷する前に、私に直接お礼したいとの事で来てくれた律儀な好青年、ホールに来ていた外国人のシェルターの住人やU君が歓迎、辛い日々が続いた東京で、多くの楽しい仲間ができた。「離れていてもひとりじゃない」

❺今晩はたて続けに3件の都内23区内からSOS、2件が20代だった。19時から福島みずほ議員の「シュバリエ」受章オンライン祝賀会でスピーチする予定が、やっぱり駆けつけ支援の現場からの中継となった。待っていた20代の青年は震えていた。10日の野宿生活の疲れが酷い。今日に至るまでの記憶が薄れている。ショックが大きい。一緒にホテルにいってチェックイン、明日から三連休で福祉事務所は休みだ。ゆっくり休んでもらう。毎日1回は会話をして火曜日に備える。

❻みずほさんはどんなお願いや要請も「断らない」私も「断らない支援」を心がける。来る衆議院選挙、与野党逆転をどれだけ多くの困窮状態にある方々が望んでいるか、シェルター住人の外国人からの伝言「俺たちは働きたいんだ。医療も受けたいんだ。生存権が欲しい。それだけだ。」政治が変わらないと倒れてしまう。待ったなしですよ。