❶午前は**福祉事務所で生保申請受理されて支援継続中の2名の相談者についての現況把握と今後の支援計画について担当ケースワーカーと面談、Aさんは精神的困難を複合的に抱えている。現段階ではアパート転宅は時間がかかる。今後のSTEPをどのように踏んでいくか。Bさんは名前も含めてほぼ全ての記憶を失った少年の今後の支援計画の確認、記憶は戻っていない。記憶が戻らない前提を踏まえてビジネスホテル利用期間後の居宅支援と戸籍や住民票づくりなど課題は山積、でも希望しかない今後の人生、笑顔で伴走していこう。
❷午前は**福祉事務所で、支援を続けている30歳のU君と待ち合わせ、U君は長い期間、住民票も戸籍も全て不明状態が続いていた。住民票の所在地が判った!やっと住民票の所在地が判った。しかし埼玉県の**区役所は、「生活保護受給証明書」だけでは転出証明が発行できないと言う。U君は写真付きの証明書類がない。都営パスカードを持って計2点の書類を持参して**区役所に車で移動、無事に転出証明を取得、やっとアパート探しができるようになりました。生保申請時の相談員が「何も覚えていないのおかしい。頭打っているんじゃないの、普通じゃない」と罵倒されても「普通じゃないからここに来てるんでしょ。何もなくても生きてきたんですよ」と笑顔で反論していたU君、今日も笑顔で「やっと、モグラ生活からの脱出ですね。」さあ!一緒に念願のアパート探しをはじめよう。
➌飯田橋の反貧困ネットワークの事務所に戻り、お世話になっている福祉事務所からの依頼案件。私の自宅近くの隣人が、通勤途中の駅の階段から落下して骨折、全治2カ月の入院、でネコちゃんをお預かりしているCさんの生活用品を準備、反貧困スタッフのAさんに託す。近くに信頼できる知人がいない。反貧困犬猫部の使命かな。
❹今日の夕方は2回目のワクチン接種、17時30分の接種時間ギリギリにクリニックに駆け込む。今晩からいつ発熱するか判らないのでSOSが来ないでほしいと願っていたのに、各地から飛び込む、池袋2か所、水道橋、練馬光が丘、都内でも4か所、他にも神奈川県と群馬県、都外は地元支援団体に依頼して、池袋と水道橋の3か所は佐々木君が自転車で駆けつけ支援、23時に終了、私は今日は発熱なしなので練馬光が丘の30代の男性の元に駆けつける。3月に会っていた青年だった。その時は生保申請を選択せずに、福島県郡山・三春町・白河市の除染作業に従事していたが雇止めにあい地元に近い光が丘公園で1週間以上の野宿生活、もう3日も食べていない。来週に今度こそ生保申請に同行する。
❺もう1か所、SOSが来ていた。下北沢から20代の青年、所持金ゼロ円、明日は発熱の可能性がある。深夜の駆けつけはさすがに躊躇した。青年は都会での困窮生活に疲れ果てて東北の実家に戻りたいと電話の向こうで泣いていた。熱中症で渋谷区内の病院に搬送、治療が終わり外に出され病院前の公園に放り出された。近隣在住のパルシステム職員で、新宿ごはんプラスで活動する高橋英明さんに電話したらすぐ駆けつけてくれて、車でネットカフェまで連れていき食費と今晩の宿泊費と高速バス代を給付してくれた。高橋さんは23時30分過ぎに終了、チームで野戦病院状態のSOS多発の対応を終了できた。明日はSOSが沈静化する事と発熱しない事を願う