❶午前の怒涛の電話相談を終えて午後からシェルターに住む20代の青年の福祉事務所でのケースワーカー面談に立ち会う。自殺現場から逃げてSOSをくれて10か月。シェルターで仲間たちが伴走し続けて7カ月、ようやく今日からアパート探しを開始!出会った時の顔面蒼白状態が見違える程の笑顔、「生きていてもしょうがない」ばかり呟いていた頃、僕らはもうすぐ「支援する側」「支援される側」ではなく仲間になる
❷ジャーナリストのNさんから電話が入り、待っている近くの公園に駆けつけた。東南アジア国籍のシングルマザーと二人の小さな子供と一緒だ。最近、仮放免から就労できるビザに変更された。仕事もダブルワークだが見つけた。でも子供たちを預ける保育園が見つからない。みんなで手分けして探している最中だ。これから働き始めるので現在は経済的困窮状態と孤立、家の近くにあるフードバンクや子ども食堂はないか、、急ぎ車に乗せて近くにあるワーカーズコープが運営する「よい仕事ステーション」に向かう。北川さん、中村さん、志波さんが出迎えてくれた。さっそく繋がりづくりができた。「介護初任者研修」にもチャレンジしたいとの事、「地域のみんなのおうちで支えあう。」
➌急ぎ近くの駅に戻り、19歳の少年が待つ場所に向かう。幼少期から親と離れて身寄りがない。コロナで仕事も住む場所がない「10代の少年」もうすぐ20歳になる。アパートも堂々と借りれるよ!来週に生保申請に同行して希望の人生に向けて一歩踏み出そう。
❹1時間かけて郊外のマンションに向かう。困窮状態にある韓国籍の女性、小さな子供と一緒に暮らす。複雑で深刻な現状にある。詳しくは書けない。帰宅してからメールが届いた。「外国で身寄りもない私の現状にとても悲しんでいましたが、また頑張れる気がしてきました。」長期的な伴走となる。
❺最後は20時30分、三多摩地域の小さなスーパー前に向かう。30代の有名校の元高校球児、腰が低い好青年の印象、地元で仕事を失い、仕事があると思い東京に出てきたが、コロナ禍の東京は冷たかった。仕事が地元で見つかり帰りたいが所持金が尽きて帰れない。給付金を渡して地元に帰る。彼からも丁寧に返信がきた。「色々話し聞いてもらいありがとうございます。明日**にもどったら今回の手助けしてもらったことを無駄にしないよう頑張ります。」SOSは全く止まっていない。